―― おばばたちの反戦グループ、グランドマザーズ・アゲインスト・ザ・ウォーをあなたが立ち上げた2003年は、今と違い、アメリカ人の多くがイラク戦争を支持していました。反戦グループを立ち上げて、怖くありませんでしたか?
ジョーン 怖かったわ。最初にヴィジル(vigil。平和のための祈り集会)をした日はとても寒くて、私と友人の二人だけだったの。悪態をつかれ、押しのけられるんじゃないかと思って緊張したけど、そんなことは何も起きなかった。
―― なぜ反戦グループを立ち上げたんです?
ジョーン 戦争にうんざりしたのよ。私たちはイラク人をたくさん殺した。米軍兵士の死者も増えた。直接の動機は、タイム誌に掲載されていた少年の写真よ。大やけどを負い、両腕を失った12歳のイラクの少年で、ほかの家族は全員殺された。私たちの爆弾がそうしたの。私はとても悲しくて、何かしなくちゃと思った。
―― タイムズ・スクエアで逮捕されるまでは、まずヴィジルをしていたんですよね。
ジョーン いちばん最初は、マンハッタンのエレノア・ルーズベルト像の前で、政治家や映画俳優も招いて反戦集会を開いたの。その後、何か継続してできることはないかと考えた。そして04年の1月に始めたのがヴィジル。毎週水曜日、ロックフェラーセンターの前でやってるわ。天候次第だけど20人から40人が集まるのよ。毎回、新しい人が参加する。今ではニューヨークのいい観光名所よ。でも、ヴィジルを始めて1年半後に、もっと目立つことをしなきゃって思ったの。そこで18人のおばばが、孫の代わりに入隊しようとしたのよ。私たちは逮捕され、留置場に入れられたわ(解説①)。その時、自分たちをグラニー・ピース・ブリゲード(おばば平和旅団)と名乗ったの。
―― 反戦アピールの一環として入隊しようとしたのは、あなたたちが最初ではないんですよね。
ジョーン そう。05年の7月に、アリゾナ州ツーソンのおばばたちが、入隊しようとして逮捕された。そのニュースは世界中に広まったわ。私は「ニューヨークでも同じことをやろう」と話したの。
―― 他のおばばは、どんな反応でしたか?
ジョーン 18人が実際に行動を起こしたわけだから、賛成した人が多かったわ。でも、怖じ気づいたおばばもいたわよ。
―― 「本当に軍隊に入れられたらどうしよう」とは考えませんでしたか?
ジョーン ダイアンという最年少おばば(当時59歳)は、イラクに行く気満々だったわよ。でも、私たちが軍の身体検査をパスするとは思えないわ。ただ、その可能性は皆無ではなかったわね。下手したら、本当にイラクに行く羽目になってたかも(笑)。
―― ツーソンのおばばたちとは今でも連絡を?
ジョーン ツーソンだけでなく、アトランタやフィラデルフィアにも反戦おばばの組織があるの。アトランタでは、イラク戦争5周年の今年3月19日、私たちのように入隊しようとして10人が逮捕された。フィラデルフィアでは11人よ。そのうち、反戦おばばの全米組織ができるんじゃないかしら。私も各地の組織と連携して、これまでに3回、全米規模の活動をしたことがあるの。そのうちの一つが、3月19日に行ったニット・インよ。
―― あれは良いアイデアだと思いました。
ジョーン ヴィジルに参加していたジョーン・ケイというおばばがいて、ある日、彼女が編み物をしていたの。とても面白いと思ったから、編み物を私たちの活動に組み込んだのよ。何人かのおばばは、ワシントンDCまで行って編んだわ。
―― ニット・インの数日前に、タイムズ・スクエアの新兵募集センターに誰かが爆弾を投げたでしょう? あなたたちの編み物による抗議は「爆弾による暴力的な抗議」への抗議にもなっていて、とても印象的でした(解説②)。
―― では少し、昔を振り返ってください。シンガー・ソングライターであるあなたは、反戦集会でピアノを弾いて自作曲を歌ったりしていますね。これまで、どんな仕事をし、どんな人生を歩んできたのですか。
ジョーン 私はニューヨーク州北部の生まれなんだけど、主にワシントンDCで育ったの。そして17歳の時にシカゴへ行った。でも、シカゴ大学に通って3年目の時、どうしてもジャズ・シンガーになりたくて、やめてしまったのよ。そしてニューヨークにやって来た。1953年、22歳の時よ。大金は稼げなかったけど、なんとかやっていけた。主にレコーディング・スタジオで働いたわ。ジングル(ラジオやテレビのCMソング)をたくさん吹き込んだし、バックコーラスや映画のサントラもやった。キャバレーやナイトクラブでは、バンドと一緒に歌った。曲も書いて、40歳頃からはミュージカルも書き始めたわ。そのうちのいくつかはオフ・ブロードウェイで上演されたのよ。でも、若い頃の燃えるような野望は、ジャズ・シンガーになることだったの。
―― 17歳でシカゴへ行ったあなたは、独立心旺盛な少女だったんでしょうね。
ジョーン そうね。私は高校を卒業してないの。でもシカゴ大学は毎年、そういう子供たち200人を入学させていたのよ。私はそれを利用したってわけ。
(細田注:ジョーンさんの同級生には作家・思想家のスーザン・ソンタグや映画監督のマイク・ニコルズがいたという)
―― 若い時からずっと反戦運動をしてきたんですか?
ジョーン 私は二人の子供を抱えるシングル・マザーでもあったの。子供が生まれた時には結婚してたけど、すぐに離婚したわ。そして難しいキャリアも抱えてた。だから、時々は運動したけど、今みたいに継続してではなかったわね。でも、核軍縮運動には関わったし、ソ連のアフガン侵攻時にカーター大統領がやろうとした徴兵制度にも反対したのよ。
―― 今、お孫さんは何人?
ジョーン 血のつながりのある孫が四人、そして養子にもらった孫が一人。
―― ご家族はあなたの反戦運動を支持していますか?
ジョーン 支持できないという声は誰からも聞かないわね。だいたい子供たちはまだ若くて、子育てとかで大忙しだし。ただ時々、「ちょっとやり過ぎじゃないかな、おばあちゃん」って思ってるようだわね(笑)。でも支持してくれていると思うし、もしかしたら誇りにも感じてくれてるわ。幼い孫たちにはまだ戦争のことは考えてほしくないけど、一番上の孫は大学生で、強い反戦思想の持ち主なの。オバマを支持していて、オハイオへ出かけて彼のために働いたのよ。その下の17歳の孫は極端な反戦思想家で、アナーキスト(無政府主義者)なの(笑)。だから私のことは支持してくれていると思うわ。
―― 離婚した後、再婚はしましたか?
ジョーン ええ、短期間だったけれどもね。大学時代のボーイフレンドの一人で、カリフォルニアの男だったの。大学以来、25年ほど会っていなかったんだけど、カリフォルニアで再会し、数カ月後に結婚したわ。でも、長くは続かなかった。アル中だったのよ。それに私はカリフォルニアが好きになれず、いつもニューヨークを恋しく思ってた。ニューヨークこそ、私の場所なのよ。
―― 歌手としての仕事はもう引退したんですか。
ジョーン 自分で引退を選んだわけじゃないわよ。今でも、スタジオに入って歌えたら最高だと思うけど、年寄りは雇ってくれないのよ。
―― なぜ年寄りは雇われないんですか。
ジョーン (馬鹿なことを聞くなと言わんばかりに)だって年を取ったら、若い時のようには上手に歌えないじゃない。たとえ写真撮影がなくたって、若い歌手が好まれるのは当然でしょ。でも、バレエダンサーよりはマシだわ。彼女たちは40歳代で引退しないといけないのよ。
―― 4月に行われた世論調査で、80%以上のアメリカ人がこの国は間違った方向に向かっていると答えています。あなたはどう思いますか?
ジョーン 同意見よ。私の人生で今のアメリカが、いろいろな点で最悪だと思う。個人的に何か問題があるわけじゃないのよ。私は元気だし、なんとかやっていける。ただ、イラクへの先制攻撃(preemptive war)は、これまで私たちが決してやらなかったことよ。そのため世界中が私たちを憎み、私たちも自分たち自身を憎んでる。国内を見れば、金持ちがますますリッチになる一方で、そうでない人は苦しんでる。特に医療の状況はひどいわ。私ぐらいの年になれば誰だって薬が必要。でも保険に入っていてさえも薬代は高い。私の限られた収入は薬代に食い尽くされてるの。その上、人々は分裂してる。私は、この戦争を支持する人とは友達になれない。親戚が海軍の将官と結婚したんだけど、彼は共和党支持者で原理主義者。ラッキーなことに遠くに住んでるけど、彼と一緒の部屋には長くいられない(悲しそうに)。
―― 原理主義者というのは、聖書の教えを文字通りに信じる、キリスト教原理主義のことですね。
ジョーン そうよ。でも最大の問題は、この戦争に関する考え方の違いなの。ヴィジルをしている時に「裏切り者!」と叫ぶ人がいるけど、あんな感じね。この分裂がある限り、私たちはもう二度と一緒になれない。
―― 私も04年の大統領選挙で同じように感じました。まるでこの国が二つに裂けてしまったようでした。
ジョーン その通りよ。もしかしたらオバマなら、また一つにまとめられるかもしれない。でも、よく分からないわ。ヒラリーには、できない気がする。マケインなんて、もちろん無理だわ。
―― あなたはオバマを支持してますけど、ヒラリーはなぜ駄目なんですか? 同じおばばなのに。
ジョーン 戦争に反対している私たちおばばは、彼女が嫌いなの。彼女が対イラク開戦承認決議案(2002年)に賛成票を投じたからだけではないのよ。彼女は、イラクにはもっと軍隊の派遣が必要だと言い続けた。つまりタカ派(強硬論者)になってしまったの。でも、タカ派だと思われたままじゃ大統領選挙に勝てないと分かったら、立場を変えた。やっと戦争に反対する立場を取ったの。私たちの目はごまかせないわ。
―― オバマを支持するのはなぜなんですか?
ジョーン アメリカの最大の、そして最も根深い問題は人種差別よ。今回の選挙は、ついにこの問題を乗り越えられるチャンスかもしれないの。ただ、彼はとても若いから、見てるとヒヤヒヤしちゃう。私の息子と同じくらいなんだもの。
(細田注:ジョーンさん自身、ユダヤ系だということで少女時代にひどく差別された経験があるという)
―― 次は、少し柔らかめの質問です。あなたたちに憧れている若い女性が多いので、同僚の女性から質問を募集してきたんです。まず、あなたのモットーは何ですか?
ジョーン いろいろあるけど、まず「今やらなければいつやるの? 私がやらなければ誰がやるの?」(If not now, when? if not me, who?)かな。それから、マーティン・ルーサー・キングの言葉なんだけど「私たちの人生は、重要なことに口をつぐんだ日に終わりへと向かう」(Our lives begin to end the day we become silent about things that matter.)もいいわね。個人的に好きな言葉は「粘り強さ」(perseverance)ね。成功するためには忍耐強くなけりゃ。そして最後に、これは私自身、学ぶのが遅過ぎたんだけど「大切な人とのこじれた関係は手遅れになる前に改善せよ」(Resolve all troubled relationships with the important people in your life before it's too late.)。
―― 次も女性からの質問です。どうしたら最高の男が見つかりますか?
ジョーン (大笑いしながら)それは私に尋ねる質問じゃないわよ! 私は間違った男と2回も結婚したんだから! 私の人生にはたくさんの男がいたわ。でも、ほとんど全員、間違った相手だったの。
―― では質問を変えましょう。どうしたら最悪の男を避けられますか?
ジョーン (さらに大笑いしながら)そうねえ……。相手の男が大酒飲みでないか確認すること。ドラッグ中毒でないか確認すること。それから……。
ハーブ(隣りで話を聞いていたジョーンさんのパートナー) 金を持っているか確認すること(笑)。
ジョーン そうね、お金ね(笑)。でも私にはお金が重要だったことはないの。それよりも相手の男が自己中心的でないか確認すること。そして大事なのは、自分自身の内側を見ることのできる男を探すこと。
―― それは難しそうですね。
ジョーン 実際のところ、運も大きいわよ。10年間仲良く同棲していたのに、結婚して数カ月で別れたカップルもいれば、ほんのちょっとしか付き合わなかったのに、すぐ結婚してずっと幸せだったカップルもいる。運にも左右されるわね。
―― 最後にシリアスな質問に戻ります。反戦活動をしてきて、仲間に裏切られたと感じたことはありますか?
ジョーン あるわよ。私の願いは、この戦争を止めること。そのためにおばばのグループを立ち上げたんだけど、いろいろな考えの人がいるわ。中には偏った考えの持ち主もいて、意見が食い違う時もある。それから、私たちのグループを自分たちの目的のために利用しようとする人もいる。
―― そうですね。「9・11はブッシュ政権が仕組んだ芝居だ」という陰謀説を唱える妙なグループが、よくあなたたち反戦おばばと一緒にデモの現場にいますよね。ちなみに私は、彼らの考えには全く同意できません。
ジョーン 私だってそうよ。裏切られたと感じるのは、例えば、そういう時ね。
―― おそらくこういう問題は、組織を作る上では避けられないんでしょうね。組織を作るのは簡単だけど、維持するのはずっと難しいのだと思います。
ジョーン そうね。その通りだわ。私は今、それを学んでいる最中なのよ。
―― 入隊しようというアイデアを最初にジョーンさんから聞いた時、どう思いました?
アン その時はまだお互いをよく知らなかったの。それぞれ別のグループに属していたしね。ジョーンから話を聞いた時、私は既に2回逮捕されていた。最初は2003年の3月27日。米軍がイラクに侵攻した直後よ。205人と一緒にロックフェラーセンターの前でダイ・インして抗議したの。その時、生まれて初めて逮捕された。それから2週間後、マンハッタンの五番街で反戦デモを見ていた時にも逮捕されちゃったのよ。この逮捕については今、ニューヨーク市を相手取って訴訟中よ。5年経つけどまだ決着しないの。タイムズ・スクエアで入隊しようとして逮捕されたのは、それから2年後ね。アイデアを聞いた時は、凄くいいと思ったわ。でも、実際にやるからには、単なる見せかけのポーズにするのは嫌だった。つまり、前もって警察に話して段取りを付けたくなかったの。だから、あれはガチンコよ。
―― 事前に取り決めのある八百長ではなかったと。
アン その通り。「孫の世代の代わりに入隊しよう」と私たちは思った。逮捕されるリスクも承知してたわ。結局、逮捕されたんだけど、それで大きな関心が集まったんだから良かったと思う。
―― 「本当に軍隊に入れられたらどうしよう」とは思わなかったんですか?
アン そうは思わなかったけど、最高齢のメアリー・リュニオンばあさんだけは、イラクに行く気だったかもよ。彼女は最強のおばばだもの。でも実際のところ、私たちが身体検査をパスするわけないから、その心配はしてなかった。驚いたことに新兵募集センターの中にさえ入れなかったのよ。中に入って話したかったのに、ドアには鍵がかかってたの。
―― メアリーさんはドアを杖でがんがん叩いたんですよね。
アン そうよ。彼女が何て言ったか知ってる? 「こらあ開けんかい。怠けず働け!」って言ったのよ(笑)。
―― 逮捕されて留置場の中にいた時は何を思いました? 後悔? それとも達成感?
アン 後悔はまったくしなかったけど、達成感はあったわ。私たちの目的はイラクへの侵攻と占領に人々の関心を集めること。強欲なブッシュ政権のためにイラク人が殺され、アメリカの若者がだまされて戦地へ送られていると知らしめること。その目的は達成されたわけだから、達成感はあったわね。
―― さすがに3回も逮捕されてると言うことが違いますね。
アン あら3回じゃないわよ。あの後も、ワシントンDCで戦死者の名前を読み上げたら逮捕されたし……。(指を折って数えながら)これまでに7回は逮捕されてるわね。
―― 7回も! しかも全部、おばばになってから!
アン 逮捕されるって聞くと、とても重大で怖いことのように思えるわね。でも、やらなきゃいけないことをやって逮捕されたのなら、そんなに大したことじゃないって分かるわ。1回逮捕されれば、恐怖の化けの皮がはがれるのよ。逮捕される前にいろいろ考えるから怖いの。夫も一緒に逮捕されたことがあるんだけど、乱暴に扱われた彼の腕は前みたいに動かなくなった。でも、そんなの小さな代償よ。自分の信じていることのために、尊敬できる人たちと一緒に牢屋の中にいるのよ。よく知らない人たちに囲まれてカフェの中にいるよりマシじゃない。
―― あなたは最初はファッション・イラストレーターとして働き、年を取ってからソーシャルワーカー(社会福祉事業に従事する専門家)に転身しています。子供の時は、何になりたかったんですか?
アン アーティストよ。小さい時から絵を描いてたの。何らかのアーティストになりたいと思ってて、それでイラストレーターになったの。最初は児童書の絵を描きたくてアートスクールに入ったんだけど、人生はいろいろで、ファッション業界に関わることになっちゃった。当時は、まったく政治的な人間ではなかったわ。ちょうどベトナム戦争の時代で、周囲には徴兵されて戦争に行く仲間がいた。すごく動揺したけど、反戦運動はしなかったの。私の両親がそういう運動をする人じゃなかったから、戦争についてあまり話さなかったし、当時はニューヨーク市ではなく郊外に住んでいた。一軒家だったから周囲と孤立していたの。今のようなアパート住まいの方がいいわ。他の人ともっと近づけるから。
―― ファッション・イラストレーターの仕事は好きでしたか?
アン 大好きだったわよ。華やかで活気があって。ヘンリ・ベンデルやアバクロンビー&フィッチみたいな美しい店でも働けた。本にもイラストが描けたし。でも、私の人生を変えたのは、夫との出会いよ。
―― 映画を学ぶためにニューヨークにやって来たイラン出身のアーメッド・シラジさんですね。
アン 22歳の時に28歳の彼と出会い、2年後に結婚したの。1968年のことね。
―― アメリカ人女性がイラン人男性と結婚するということで障害はなかったんですか? 例えば文化の違いとか?
アン そうね。私たちは全く違う文化の国で育ったわ。でも、彼は私と同じような人間だったの。たしかに彼は、保守的で儀礼的な、特に男女間の関係についてはとても保守的な国からやって来た。一方の私は自由奔放な女の子だった。彼はどう考えていいか分からなかったと思うわ。そんな女の子は初めてだったろうし(笑)。でも、60年代のアートスクールでのことだったのよ。とてもオープンな雰囲気で素晴らしかった。彼は1963年にこの国に来たんだけど、友達はイラン人ばかりだった。私が新しいドアを開いてあげたの。私の両親も彼のことが大好きになったのよ。両親は外国のことをあまり知らず、旅行もしなくて、そういう意味では典型的なアメリカ人だったけど、それでも彼に会った瞬間、彼のことが大好きになってしまったの。
―― アーメッドさんとの結婚についてご家族から反対意見は出なかったんですね。
アン まったく出なかったわ。親戚の中には保守的で宗教的に心の狭い人もいるんだけど、そんな人たちにも彼は受け入れられたの。(突然、我慢できなくなったように周囲を見回して)もう! 本当になんで今、彼はここにいないのかしら? 一緒にインタビューを受けてって言ったのに! 用事があるって言って急に出かけちゃったのよ。とにかく彼はスペシャルな人なの。
―― あなたの職業に話を戻すと、最初はファッション・イラストレーターだったのに、50歳近くなってからソーシャルワーカーに転身していますね。どういう経緯だったんですか?
アン 1974年に子供ができてから、イラストの仕事の量をかなり減らしたの。子供を育てるために家にいたかったのよ。経済的には厳しかったんだけど、私も夫もすごく重要なことだと思ったの。特に私自身、家に両親がいない鍵っ子だったしね。自分の子供には同じ思いをさせたくなかった。だからイラストの仕事は減らしたわ。そして子育てをしている時に、周囲への関心が高まり、政治意識が強くなった。子供の住み良い世界にしなくちゃって思ったの。それで、息子たちが通ってる学校で働き出したの。いろいろ問題を抱えてる子供たちがいたわ。周囲はなかなか児童虐待とかに気づかない。そういう子供たちを助けたいと思ったの。友人の精神分析医に相談したら、「学校に通ってソーシャルワーカーになったらどう? そうすれば子供たちを助けられるわよ」って言われたの。私はその言葉に従ったというわけ。
―― ソーシャルワーカーになろうと決心したのは何歳の時でしたか?
アン 48歳だったわ。そして2年後に学校を卒業したの。
(細田注:Hunter College School of Social Workで修士号を取得)
―― それは凄いですね。
アン でも、年齢は気にしてないの。アートの世界にいた人が、年を取ってからソーシャルワークを始める例は多いのよ。アートとソーシャルワークにどんな関係があるのか分からないけど、何かあるんだと思うわ。学校に入り直した時は少し怖かった。学問とは縁のない生活を何十年も送ってきたんだもの。もう年だったから記憶力も衰えているんじゃないかと不安だったし、論文なんか書けるのかしらって思ったけど、勉強を始めたら、とても素晴らしかった。
―― ご家族はあなたの反戦活動を支持してるんですか?
アン (嬉しそうに)イエス! 息子たちは本当に素晴らしいわ。とても政治意識が強いの。私より多くのことを知っていて、ブログなんか書いてるんだけど、素晴らしい内容なのよ。息子たちはいつだって私のことを応援してくれる。私たち夫婦は幸運だと思うわ。だって、独立した考えの持ち主である息子たちが、私たちと同じ価値観を持ってるんだもの。息子たちと議論する時だってあるのよ。私と夫はたくさんのことを学んでるわ。
―― 80%以上のアメリカ人が、今この国はおかしな方向に向かっていると考えています。あなたはどう思いますか?
アン もうそろそろ皆気づいてもいい頃だものね。無実の人々の大虐殺に関わるのは良いことじゃないと、ついに気づいたんだわ。だけど楽観はできない。だって、日本人のあなたには言うまでもないけど、20世紀の開始以来ずっと、アメリカは世界中にダメージを与えてきてるでしょう? アメリカ人は物忘れが早くて、同じ過ちを繰り返してしまうの。だから楽観できない。たくさんの人が気づきつつあるのは嬉しいけど、本当に深く反省しているのではないと思う。残念なことにアメリカ人は誘導されやすく、そして大統領がブッシュだろうが誰だろうが、世界に対してひどい行為をし続ける仕組みになってる……。でもこれは、あまりポジティブな考え方ではないわね。
―― あなたたち反戦おばばは、オバマを支持してるんですよね?
アン ちょっと、何言ってんの?
―― ジョーンさんがそう言ってましたけど。
アン 違うわよ。もちろん、一人一人見ていけば、オバマ支持者がいるでしょうけどね。でも私は、今回の選挙は誰に投票していいか分からない。言うまでもないけどジョン・マケインは狂ってるわ。マッチョな彼は、イランにだって爆弾をばんばん落とすでしょうね。そしてヒラリー・クリントンはひどい主戦論者。7000万のイラン人が全滅しかねない武力行使をするぞって脅してる。そしてバラク・オバマは穏健派(moderate)であって進歩的(progressive)な民主党員ではない。それに彼はイスラエルを支持してる。これは私にとってはショックなの。シカゴで働いていた時の彼はアラブ系住民に協力的だったことを思うと、なおさらね。今の彼にはイスラエル系圧力団体の票が必要なのよ。
(細田注:言い方を変えると、オバマはアンさんにとっては十分に左寄りではないということ)
―― ジョーンさんが本に書いていましたけど、彼女とあなたは必ずしも意見が一致するわけではないんですってね。イスラエル・パレスチナ問題がそれなんでしょうね。
アン 違う意見を持つことは重要よ。そのためにいろいろ問題も起きるけれどもね。私たちは話し合い、全員の意見が一致することについて行動することにしたの。
―― 旦那さんがイラン人なので、よくイランにも行っているそうですね。
アン だって家族があそこにいるんだもの。テヘランには親戚が150人以上いるのよ。そして私には使命があるの。アメリカ人にイラン人について知ってもらうという使命よ。だってプロパガンダと誤解だらけなんだもの。夫と私はスライド・ショーをして、イランにはどんな文化があり、どんな人が住んでいるか知ってもらおうとしてる。アメリカ人には問題があって、よく「私たち」と「彼ら」という具合に分けて考えるでしょ。でも、本当はそんな区別はないの。たまたま違う場所に住んでるだけなんだから。私たちアメリカ人が自分たちの政府に対して立ち上がり「もうひどいことはするな」と言える時が来るとしたら、それは、他の国へ出かけて、そこに住む人々を見て、「彼らも私たちの一部だ(They are part of us)」と思えた時だけだと思うわ。
―― もうイラストレーターやソーシャルワーカーとしては働いていないんですか?
アン イラストの仕事はほとんどしていないし、ソーシャルワークからも引退よ。フルタイムの仕事はしなくなった。ブッシュ政権と闘うためよ。平和のための運動は、いつ起きるか分からない自然発生的な運動なの。昼も夜もないから、パートタイムの仕事に就くのだって難しいわ。この前、ショーン・ベルの事件への抗議があったでしょう?(解説③)あれなんかもそうよ。あれに参加するためには、あの日、あの場にいる必要があった。それができないのは苦しいの。だからフルタイムの仕事はもうしない。
―― 最後に、ちょっと柔らかめの質問です。あなたたちに憧れている若い女性が多いので、同僚の女性から質問を募集してきたんです。まず、あなたのモットーは何ですか?
アン 私のモットー? (かなり長く考え込んでから)そうねえ、たぶん「心のおもむくままに」(Follow your heart)かな。そして「心のおもむくところに向かいなさい」(Go where it takes you)ね。たとえ、それがどんなに難しくても。
―― 次も女性からの質問です。どうしたら最高の男が見つかりますか?
アン 最高の男?
―― そうです。だってあなたは明らかに最高の男をつかまえたじゃないですか。
アン そうね、最高の男をつかまえたって言わなきゃ罰が当たるわ(笑)。
―― なんかコツがあるんですかね?
アン そうねえ……。やっぱりこれも「心のおもむくままに」だわ。最近の若い人の中には、相手がどれだけ稼ぐか考える人が多いでしょ。それこそが幸せな結婚の秘訣だって思ってる。でも本当に大事なのは、同じ価値観を持っているかどうかだわ。そして完璧な男なんていないと知ること。そうすればソウルメイトを見つけられると思う。夫は私のソウルメイトよ。もちろん、みんながみんな私みたいにラッキーなわけではないと思うけど、相手と一緒に成長していくことなら誰にでもできるはず。あきらめないで努力を続けることが大事だわ。
インタビュー終了後、アンさんからメールが届いた。その内容は以下の通り。
「もっと大事なモットーがあったことを思い出したの。『Never Surrender』(決して譲り渡すな)よ。
私はこのモットーが刻まれたブレスレットを身につけてる。心のおもむくままに行動することは、自分自身であるために大事よ。と同時に、自分の信念や自分の価値観、自分の自由やこれこそ自分自身だという感覚を、他人の意志に譲り渡してはいけないと思うの」